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長津田十景⑤、、王子秋月

 

 

 

[王子秋月]

  

 

[御由緒]

σ(^_^;看板の日焼けが凄く読めませんね、、、

天正18年(1590年)徳川家康公の江戸入城に伴い、その旗本岡野房恒公が長津田(千石)の領主として知行を許された。

房恒公は菩提寺として大林寺を開基し、長津田村の鎮守として、国家安泰、極楽平穏の霊験あらたかな神として、平安時代から全国の人々に尊崇され、「伊勢へ七度、熊野へ三度」とか「蟻の熊野詣で」といわれるほど、信仰の厚かった熊野三山(本宮、新宮、那智)のうち新宮(速玉大社)より若一王子権現をこの地に勧請して慶長元年(1596年)に創建、別当寺として福泉寺を開基して神社の管理運営にあたらせた。
その後、明治維新の神仏分離令によって権現をとり若一王子神社と改め、明治6年に長津田村の村社に列せられて村人の崇敬をあつめてきたが、昭和33年の狩野川台風によって社殿が損壊、翌々年仮社殿を建てて、岡野家の造営になる立派な奥宮を保存してきたところ、時代の変遷と共に本殿再営の気運が次第に高まり、昭和61年、氏子並びに崇敬者の寄進によって台湾檜の良材を得て秋田の名工の技になる権現造りの立派な社殿の完成をみたものである。

こんな感じの事↑↑o(^-^)o↑↑書かれてます。

 

コチラ、王子神社ですね、、左側にもみの木は御神木です。

 

昭和47年迄左右一対の御神木だったみたいですが、片方の劣化が激しく、切り倒してしまったのだとか、、

その当時で樹齢は130年以上だった。との事です。

現在残る御神木が同い年なら、180歳位となりますね、、、

人なら二世代位でしょうか、、立派に育たれております。

  

(´・ω・`)コレだけ立派なもみの木を見ると、、御柱祭りを想い出しちゃいますね、、、

 

さ、本殿へ向かいましょう、、、

ここ、王子神社で祀られている神様は、、

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
速玉男命(はやたまをのみこと)

御利益は、、、

伊邪那岐命=黄泉比良坂へ伊邪那美命(いざなみのみこと)に会いに行った愛情深さから、夫婦円満。

黄泉比良坂から生還した事から、長寿繁栄。

国や神様の生みの親から、子孫繁栄。

黄泉の汚れを禊ぎ清めた事から、厄除け、、等々、様々な御利益をお持ちの様です。

 

速玉男命=伊邪那岐命が、黄泉比良坂で伊邪那美命に別れを告げた時飛んだ唾から生まれた神様と言うことから、けじめ、別れ。

(´・ω・`)ありがたい御利益とは言えませんが、、個々それぞれの行動が大事と言うことなのかな?

 

因みに、ここの狛犬には、子供がいて、、子育てに御利益あるのだそうです。

             

(゚◇゚)話を少し戻します、、、

王子神社を建立した岡野家の話ですが、、、

この長津田十景巡りの最初の大林寺、、略々ふざけて書いてしまいましたが、あのお寺は岡野家の菩提寺なんですよね。

北条~豊臣、豊臣~徳川と岡野家は渡り歩き、、徳川の時代は長津田、栗木で、1500石の旗本として幕府に仕えているんですよね。

中々弁の立つ家系だったようで、、天下分け目の、、、という辺りで活躍しているみたいですよ。

(´・ω・`)図書館、資料館やってないから、、しらべられませんでした、、、

そして、ついこの間、直系の岡野家は絶えてしまったのだそうです、、

正直、近い環境に住んでいて、、そんな事も知らなかったし、伝えてもらえてない今の世の中に、、少し疑問を持ってしまいました。

 

色々と岡野家ゆかりの話は有りますが、、明日はちょっと歴史的有名な女性との関係に入れたら、、、なんて思っています。

 

文章を見直せてないので、少々不安ですが、、

本日はそんな感じ、、、明日も頑張りましょう!!

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