「童謡誕生100年 童謡とわらべ唄―北原白秋から藪田義雄へ」展へ、、

 

昨日の16時に仮眠のつもりで眠ったら、朝になっていた、、

しかしまだまだ眠いというのは、不思議なものです。

もう一眠りと、行きたいところですが、、今日は教室の日ですからね、、、

コレで遅刻したら洒落にもなりません。

 

 

おはようございます、iroiro7色です。

雑談なんですが、、

最近、駐車場管理のパソコンの調子がおかしく、必ず一台ないし二台の車の数が合いません。

入った数と出た数が合わないわけですね、、、

必ず一台は消えてしまう駐車場ですね、、、これホントに起こっている事だったらホラーだなぁ~、、なんて思ったわけです。

 

元刑事の探偵が横浜近辺の失踪者探索依頼を請け負うと、必ずある駐車場で消息が絶えてしまう、、

なんか三流ホラーっぽいですね、、、

 

 

展示を見に行った話、、、

藤田嗣治さんが亡くなって今年で没後50年になると言うことで、結構色々な場所で展示していたり、、これから展示予定だったりしています。

(´・ω・`)にゃんこの画、動物を描くのは珍しいと思います。

 

でも、今回見に行ったのは、生誕百周年のこちら、、、

[童謡とわらべ唄]

概要(コピペ)

第一次世界大戦による経済的繁栄と近代的市民階層の誕生を背景に、1918(大正7)年、児童向け雑誌「赤い鳥」が創刊されました。主宰者である鈴木三重吉は「世俗的な下卑た子供の読みものを排除して、子供の純性を保全開発する」ことをモットーに掲げ、芸術性の高い童話・童謡を子どもたちに届けました。北原白秋は創刊時より本誌に作品を発表。白秋によって確立された芸術性の高い童謡は、子どもたちや教育に熱心な大人たちに支持され、「金の船」や「コドモノクニ」などの後続誌にも大きな影響を与えるなど、昭和初期にかけて隆盛を極めました。「からたちの花」や「この道」など今なお愛唱される歌が多く残っています。
一方で白秋は、創作のかたわら、各地に伝わるわらべ唄の収集・紹介にも力を入れていました。晩年、全国各地のわらべ唄を集めた『日本伝承童謡集成』の刊行を企画しますが、病のため、弟子の藪田義雄を編集主任に指名します。小田原中学校在学時に知遇を得てから白秋に師事し、秘書として支えた藪田は、白秋の遺志を継いでわらべ唄研究に勤しみ、白秋の顕彰にも力を注ぎました。1969(昭和44)年に町田市に居を移し、『評伝 北原白秋』(1973)、『日本伝承童謡集成』復刻新版(1975)を刊行。1976(昭和51)年に『日本伝承童謡集成』編集者代表として、日本童謡賞特別賞を受賞しました。
本展では、北原白秋により確立された童謡が、誕生から100年を迎えることを記念し、白秋の作品世界と童謡に込めた願い、白秋の思いを引き継いでわらべ唄の研究をライフワークとした詩人・藪田義雄の軌跡を辿ります。師弟二人が大切にした日本語の芳醇な世界、調べの美しさに触れていただければと思います。

 

からたちの花 赤い鳥小鳥  北原白州

鰹釣り  山村暮鳥

七つの子 兎のダンス  野口雨情

めえめえ児ヤギ  藤森秀夫

 

昔と今、確かに日本と言う国は日本のまま続いてはいますが、場所、時代により言葉遣いが違う訳ですから、それを解りやすく紐解いて、、世の中に浸透させてくれた。という事なんだと思います。

と言って、横文字を右から読む時代の話ですけども、、、

例えばこの辺りが僕が子供の時聴いた子守唄や遊び唄が残る切欠になったのかも知れないのかもしれませんね。

 

はないちもんめ あんたがたどこさ ずいずいずっころばし かごめかごめ

 

遊んでいた時の記憶は楽しいものですが、意味を調べるとちょっと切ない唄が多いですよね。

温故知新では有りませんが、そうならないようにしていかないと、、と言う戒めなのかもしれませんよね、、、故に子供に遊ばせる理由なのかな?と、勝手に思っとります。

 

でも、童謡か、、最近生まれた童謡って有るんですかね?

アンパンマンマーチは童謡、、、?

 

そんな感じ、、、今日も頑張りましょう!!

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